鎌倉時代の後半から半世紀にわたって
両統迭立という不自然なかたちの
皇位継承を繰り返した
皇統は、すでに
持明院統と
大覚寺統という二つの相容れない系統に割れた状態が恒常化するという実質的な分裂を招いていた。それが倒幕と新政の失敗を経て、この時代になると両統から二人の天皇が並立し、それに伴い京都の
北朝と吉野の
南朝(のちには大和国
賀名生・摂津国
住吉・山城国
男山八幡・河内国
金剛寺などを転々とする)の二つの
朝廷が並存するという、王権の完全な分裂状態に陥ってしまった。両朝はそれぞれの正統性を主張して激突し、幾たびかの大規模な戦が起こった。また日本の各地でも
守護や
国人たちがそれぞれの利害関係から北朝あるいは南朝に与して戦乱に明け暮れた。